orz
orz orz 今日、わたしはまたひとつ年老いてしまった。
え、ハッピーバースデイ?
ふざけんな消えろ田吾作。 この歳になったらもう誕生日なんかめでたくも無い。
年齢を一つ重ねるというこの現象は、既に成長ではなくて老化と呼ばれるのだ。
老化だぜ? SomebodyToLove風に言うと
わたしは毎日死んでいくんだぜ? ましてやオレのような無軌道な人生を送ってる人間にとってそれはいっそう顕著な問題なのだ。
どうするよ? あと一年でコーデリア・グレイに追いついちまうんだぜ? どうするよ? ブライトさんは既に2コ下だぜ? どうするよ? それでもマーロウの渋さを求めるには若すぎるんだぜ?21歳ってほんと救いようの無い数値だにゃぁ。
ああ、オレは今日、唾棄すべき人生の中で唯一保持していた若さという煌きを、また一つ無駄にすり減らしてしまった。
今のオレの心境を、読者諸兄にわかって頂けるだろうか?
ジッタリンジン風に言うならば
ヤケッパチのドンチャラミー 、ニューシネマ風に言うならば
俺たちに明日はない ティム・ロビンス風に言うならば『ナッシング・トゥ・ルーズ』 (失うものなど何も無い) 広告代理店に勤めるエリート野郎・ニック(ティム・ロビンス)は、予定より早めに帰宅したある日、最愛の妻アンが彼の上司であり親友のフィリップとよろしくやってる場面を目撃してしまう。 ワイフとマブフレンド、一粒で二度美味しい裏切りを味わったニックは衝動的に家を飛び出し、失意のまま当ても無く車を走らせる。 今まさに人生のどん底を賞味せし彼を次の災難が襲う。 銃を彼に突きつけた強盗のテレンス(マーティンン・ローレンス)が、そのまま車に乗り込んできたのだ。 泣きっ面に蜂とでも言うべきか、しかしここまで突き抜けた不幸に『失うものなどなにもない』という心境になっていたニックは、テレンスを乗せたまま乱暴にアクセルを踏み込んだ。 この映画、コメディ映画の中じゃかなり出来のいい作品だと思うんですけど、どういうわけだかあんまし知名度は高くない様子。
いや、まぁ
ハワード・ザ・ダックをそこまで悪くないとか評する男の話なんで 説得力に欠けるかもしんないすけど。
あー・・・カインズホームに説得力売ってねぇかなぁ・・・ そういや主演のひとりティム・ロビンスですが、ちょっと調べてみたらハワード・ザ・ダックにも出てるんですね彼。どこにいたんだろ。
肝心の映画の内容ですが、出たての芸人よろしくストーリーに関係のないギャグを連発するコメディも少なくない中、この作品の笑いどころはストーリーに自然と調和していて、なおかつパッケージのうたい文句『ノンストップの笑いの渦』に嘘は無く、終始ニヤニヤしっぱなしでいられること請け合い。
そのストーリーについても、まぁ王道とかお約束と言ってしまうのは簡単ですが、かなり完成した流れだと思います。
登場人物が多すぎないこととか、主役二人の人物像がしっかりしているとこ、あとは本当にどん底から始まるストーリーなので、ニックの受けたショックに共感できればできるほど、その中で見つけた強盗テレンスとの奇妙な友情にグッと来るんじゃないかと思います。
まぁハワード・ザ・ダックを(ry それでは、興味を持ってくださった方は是非、
明日にでも TUTAYAに出かけてみてください。
グズグズしてっといつの間にかジジイになってんぞ!!!!!!11111
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2008/01/31(木) 00:00:00 |
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一昨日の晩、夕食を済ませて部屋に戻ると突然の睡魔に襲われまして、日付が変わる直前までだいたい3時間足らずもうたた寝をしていたのですが、その際に見た夢の中でわたくしは確かに、およそ一世紀近くもの間大いなる謎とされてきた問題の答えを掴んでいたのです。
そうです、あのクラムボン の正体についてです!! 宮沢賢治の短編童話「やまなし」の中に登場する謎の存在、クラムボン。
「やまなし」がはじめて発表されてから実に85年を経た今も、クラムボンとは果たしてなんなのか、どのような存在なのか、明確な答えは出されていません。
一説にはアメンボであり、また一説にはカニの吹いた泡であり、さらには光であり、主人公であるカニの兄弟の母蟹のことを指しているという説もあり、挙句の果てには「解釈してはいけない存在である」という説までもあります。
数多くの
暇な学者ども お偉い先生方 が、現在に至るまでその答えを出すべく研究・討論の歴史を連綿と繋げてきたそのクラムボンの正体について、わたくしは淡い夢の中で、確かに真実を手に入れたのです。
ですが、ああ、なんという悲劇だろうか。
夢から現実へと回帰したその刹那、確かに掴んでいたはずの真実は、覚醒時に生ずる精神の波に飲み込まれ、思考の狭間に崩れ落ち、二度と手の届かぬ記憶の辺土へと消え去ってしまったのです。
ああ、ともすれば、あれはわたしがクラムボンについて確かなことを知りえる、その最初で最後のチャンスだったのではないだろうか?
わたくしの頭蓋骨にすっぽりと収まった灰色の脳細胞のうち、使われていない残りの70%からの、一生にただ一度の贈り物だったのかもしれない。
あるいは、
江原啓之なるいと胡散臭き人物 がしつこいほどに連呼している、あの守護霊だとか前世の魂だとか、そういう超心霊的な現象がわたくしに囁きかけたのかもしれない。
いや、実際どちらだったのかはもうどうでもいいのだ。
ただ確実にして重要なのは、わたくしがその大いなる真理を
ヤドランよろしくド忘れしちまった という事実と、その損失は余りにも大きすぎるというこの二点のみなのです。
思えば最近、こういうことがちょっと多すぎる。
例えば読みたい本が出来てからすぐに隣りの部屋の本棚にいく、そのわずかな移動タイムの隙に、
自分がとってこようとしていた本がなんだったか失念してしまっていたり 、ひどいときには
検索したい語句が出来てからグーグル先生にタブを切り返るその一瞬で、何検索しようとしてたか忘れてしまったり・・・ もしかしたらわたくしには、脳とかそっち方面に何かやばい障害とか腫瘍とかそういうのがあるんでしょうか・・・
ということで今日は、せっかくだから前回の記事の最後にちょっと名前を出したフェノミナンについて紹介するぜ。 ああ、聞こえる。 前置き関係ねぇじゃん!とか、お前ただクラムボンの話したかっただけだろうが!とかそういう類の声が、聞こえる。 カリフォルニア州にハーモンという町があった。 町民のほとんどが友人同士のように付き合いがある小さな田舎町、その中でも自動車整備工のジョージ・マレー(ジョン・トラボルタ)は、人好きのする人物で皆に親しまれていた。 30も後半に入りなお独身のジョージだったが、現在は二児の母親にして女流家具職人のレイス(キーラ・セジウィック)に思いを寄せている。 どうにかレイスの関心を引こうと彼女の作る椅子を買い続けるジョージだったが、結局は軽くあしらわれ続け、家にはただ椅子だけが増えていく。 そのことについて揶揄されることもあったが、仲間連中共通の行きつけのバーで開かれた彼の37歳の誕生日パーティは盛況で、多くの友人たちが足を運んだ。 だがその夜、夜空の下を歩いていた際に不思議な閃光を浴びたことでジョージの身の上に様々な変化が現れる。 数々の画期的なアイデアを事もなく生み出すひらめき。短期間で大量の書物を読破し、あらゆるスキルを瞬く間に納めて行く頭脳。そして、手を触れずに物を動かしたり、近い未来を予知する超能力をジョージは手に入れる。 町の人間も最初こそそんなジョージをありがたがってはいたが、やがて彼を気味悪く思うようになる。 それまで気の置けない付き合いをしてきた仲間たちから孤立していくジョージ。 だがそれに反して、憧れのレイスとの距離は急速に縮まっていく。 そろそろ告白しちゃいますけど、毎回の更新で何が一番めんどくさいって
このあらすじ部分なんすよね。 映像を言葉に直すのってマジで難しいんだにゃぁと、このブログはじめてから痛感しました。
だからお願い!
映画知ってる人も読み飛ばさないで! このフェノミナンの見所ですが、やはりまずは
我らが尊敬するトラボルタ様のやさしい微笑み。 フェイス/オフ、ブロークンアローと彼が演じるカリスマ的悪役を目の当たりにし、若き日のわたくしに「志士雄に迫る悪はこの人しかいねぇ!」とか思わせたトラボルタ様。
勿論わたくしの中で彼のイメージカラーは艶出しブラック、てっかてかの黒でした。
しかしこのフェノミナンでその印象は変容しました。
人当たりのいいトラボルタ。無邪気なトラボルタ。思いやり溢れるトラボルタ。笑顔の似合うトラボルタ。 エンディングのスタッフロールを眺めていたわたくしの心象映像を現すとすればまさに・・・
まさにこんな感じっす。 それから前回LEONのラストで少し触れましたが、この映画の代表的挿入歌、エリック・クラプトンの「Change the World」が流れるそのシーンですが、
もうほんとにダーティ過ぎるほどの泣かせタイミングです。 この曲がどこでかかるのかは、前回に続いてまた、皆様ご自身の目で確かめていただきたく思います。
それでは、興味を持ってくださった方、是非TUTAYAのサービスデーに出かけてみてください。
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2008/01/20(日) 02:44:42 |
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そういえば今週の月曜日って成人の日だったんですよね。
新成人の皆さん、おめでとうございます。
ああ、思い起こせば一年前、去年は私も新成人でした。
近所の洋服の青山でスーツを仕立て、安物ながら靴も黒の革靴を購入。
あらゆる準備を万端に整え、あとは式当日を待つだけだと、そう油断していた予定日前日朝方のラジオ高崎の放送は今でも忘れられない。
目覚まし時計を黙らせたついでに寝ぼけ半分のままラジカセのスイッチを入れると、電波の向こうから馴染みのパーソナリティのトークが届く。
「そういえば今日は成人式なんですねぇ。このスタジオの前にもね、晴れ着に身を包んだシンセイジンの皆さんが・・・」 ああ、どうしてあの放送が忘らりょか。
なるほど、
成人の日は月曜だけど成人式は日曜だったわけで。 先入観にとらわれてはいけない! 案内書はしっかり読もう! どんなにしっかり準備をしても、最後の詰めが甘ければ反故同然!成人の日という幸多き日に、わたしはなんと多くのことを学んだのだろうか。
それでもギリギリ式に出席出来たのは、やはりあのラジオ放送のおかげなわけで。
思えばラジオは今に至るまでずっとわたくしを支えてくれていたのです。
リクエストが採用される快感を覚えたときは、高校の友人と競うように番組宛てのメールを書きました。
しばらくしてそれにも慣れると、今度は同級生の名前を語って金太の大冒険とかリクエストしちゃったりとか、ああオモイデがいっぱい。(ここまでBGM"壊れかけのラジオ”で)
高校時代、厨二病をこじらせてやたらと流行に反発したがっていたわたくしに、新しい音楽との出会いを与えてくれたのも、思えばラジオ高崎の夕方番組でした。
ビートルズの「エリナー・リグビー」や、グローヴァー・ワシントンJrの「クリスタルの恋人たち」。クラウドベリージャムの「クリシェ」に、それから
左卜全とひまわりキティーズによる「老人と子供のポルカ」 など、ラジオがなければあの数多くの名曲とわたくしは出会えなかったのです!!
そういえば、今日ご紹介するこのLEONの主題歌も最初はラジオで聴いたんですよ! 今日前置きながかったなぁ・・・ 舞台はニューヨーク。 プロの『掃除屋』(殺し屋)であるレオン(ジャン・レノ)が『仕事』を済ませてアパートに戻ってくると、隣室に住む一家の娘・マチルダ(ナタリー・ポートマン)が、階段の手すりから足をぶらぶらと投げ出してタバコを吸っていた。 レオンはマチルダの頬に真新しいアザを見つけるが、彼女はただ「自転車で転んだだけ」と言外に虐待の事実を否定する。 その翌日、余暇を映画館で過ごしたレオンがアパートに戻ってくると、前日と同じ場所に鼻血を流したマチルダが座り込んでいる。 レオンが差し出したハンカチで鼻血を拭いながら、マチルダは「大人になっても人生は辛い?」とレオンに問う。 レオンはそれにただ一言「つらいさ」と答えると、「(ハンカチは)あげるよ」と言い残して自分の部屋に戻ろうとする。 そんなレオンをマチルダは、「買い物に行くの。ミルクはいる? パックの二本でしょ?」と引き止める。レオンが頷くと、マチルダは満面に笑みを浮かべて踊るように階段を降りていった。 そうしてマチルダがその場を離れている隙に、彼女の家には麻薬捜査官のスタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)がショットガンを携え、部下を引き連れやってきた。 まず錠前を撃ち破り家へ侵入すると、いまだ状況の飲み込めないままのマチルダの家族を次々と撃ち殺していく。 鍵穴から一部始終を覗いていたレオンの元に、運良く虐殺を逃れたマチルダが戻ってくる。 マチルダは素知らぬ顔で惨劇の現場である我が家を素通りすると、レオンの部屋のブザーを鳴らし、泣きながら「中に入れて」と懇願する。少しの逡巡の後に、レオンは扉を開けてマチルダを受け入れ、部屋に通す。 テーブルに向かい合ったまま二人の間に沈黙が流れる。 「お父さんが・・・」とレオンが口を開きかけるとそれを遮るように「いずれは自分で殺していた」とマチルダ。 母親も継母で、姉も腹違いの最低のやつだと語る。 「なら何故泣くのか」とレオンが尋ねると、マチルダは「まだ4歳だった弟のためよ」と答えた。 その後、レオンが席を外した隙に、マチルダはテーブルの上のケースを開いてしまう。中にはレオンの仕事道具である銃が収納されていた。 「誰でも殺すの?」とマチルダはレオンに尋ねる。 「女子供以外は」レオンは答える。 マチルダは更に尋ねる。 「弟の敵を討つのに幾ら必要?」 そういえばこの映画の監督であるリュック・ベッソンですが、以前から「自分は生涯に10作品しか映画は監督しない」と宣言してたような気がしますが、つい最近発表された「アーサーとミニモイの不思議な国」って三部作を最後に、いよいよほんとに引退してしまうとか。
ベッソンていうと自分の中じゃニキータとレオンが特に印象深いので、その最後の作品がCGアニメってのはありゃりゃこりゃ意外だにゃぁとそんな感じなわけですが、ともかくどんな作品に仕上がるのか、そしてどんな評価を受けるのか、注目していきたいと思うます。
あっれー・・・なんで俺こんな真面目ぽいこと言ってんだろ・・・ とりあえず話題をレオンに戻しましょう。
恋愛映画とも違うし、ただのアクション映画と言い切れるほど浅くもない。
この映画、さていったいどのジャンルにカテゴライズしたものか迷ってシマウマゼブラ。
ですがいずれにしろその完成度は折り紙つき、絶対に損はさせないクオリティ。
まずはその映像美について。
幕開けからいきなり流れるようなカメラワーク。 スタンスフィールドの殺戮シーン。 坂の向こうから徐々に現れるレオンとマチルダ。etc とりあえずこの記事を書くためにもう一度見直してみたんですが、序盤だけでもこんだけあります。
全体的にフェイス/オフのような派手さとは縁の無い静的なトーン。
というか同じクライムアクションで在りながらあらゆる点でフェイス/オフと対照的なんすよね。
いや、でもどっちも面白さは保証しますよ!
フェイス/オフがみんなで楽しめる娯楽的な大作だとしたら、レオンは一人でじっくり見入りたい作品みたいな、そもそも比較の対象にはならないか。
まった話が逸れましたが、次に役者について。
レオン役のジャン・レノはベッソンの前作ニキータでも『掃除屋』として登場していました。またベッソンの言によればレオンはその掃除屋の血族だって設定だとか。
ただ、掃除屋が割りと達観していたのに対して、レオンは殺しのテクニックはともかくとして私生活からは不器用で垢抜けていない様が窺えます。
街一番の殺し屋としての迫力とのそんなギャップを、ジャン・レノは見事に表現しきっています。
次にマチルダ役のナタリー・ポートマンについてですが、このレオン当時若干12歳とか。
彼女がテレビでアニメ「トランスフォーマー」を見るシーンが何回かあったり、それからイメージのトレーニングと称してマドンナだのジーンケリーだのの真似事をするシーンや、あとは歳相応に背伸びしてみるシーンなんかはナタリー自身の実年齢と、マチルダというキャラクターの年齢からしてもしっかり子供子供してるんですが、たまに魅せる色気は世のロリコンアニキたちにゃもうたまんねぇんじゃねぇのこれ?みたいなそういう、
いや決してわたくしはロリコンじゃありませぬ! と、上記した主役の二人も素晴らしいんですが、やはり特筆すべきはスタンスフィールド役のゲイリー・オールドマンについて!
こっれもうまじ
スゲェっすよ? 序盤でドラッグ決めたときのプルプル震える動きとかは、
こいつマジでクスリやったことあるんじゃねぇのってほどに。 その後に続く殺戮のシーンも、首から下は実にキビキビといい動きなんですが、
顔は笑ってたり怒ってたりちょっと困っちゃってたりとバラエティ豊かというかなんというか 後半の展開は触れずにおきますが、この作品における彼の悪役っぷりは我が敬愛するトラボルタに迫るものがあります。
それにどうです?
いい男でしょう? ゲイリー・オールドマン>フレディ・マーキュリー>ジョージ・マイケルくらいの序列で
いい男でしょう? いや、よく勘違いされるんですが俺はノンケですんであしからず。 (上記三人のうち二人がゲイだってのは素敵な偶然でしかない)
無駄に長かった前置きの最後に少し触れましたが、主題歌であるスティングの「Shape of my heart」も、まるでこの作品のために作曲されたかの如く作品の世界観に調和しています。
曲が流れるタイミングもまさに完璧。
わたくしが勝手に定める108のランキングの一つ、
「卑怯過ぎる音楽の使い方」ランキング において、フェノミナンで「Change the World」が流れる場面と並んで同率首位。
はたしてこの曲がどこで掛かるのか、それは是非本編を見ていただきたい。
とりあえず、ちょっと時間が押してるんでちゃっちゃとまとめに。
何度も言いますが面白さは保証します!
興味を持って下さったかたは是非、TUTAYAのサービスデーに出かけてみてください!
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2008/01/17(木) 09:13:38 |
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メリークリスマース! と声高に挨拶をしたところ、去年に引き続きなんと今年も、全国的にクリスマスが中止になったとのご指摘を受けました。
さて、もしもこのおふれを無視してクリスマスをエンジョイしちゃった場合、いったいどのような処罰を受けることになるのでしょうか?
12月26日の午前零時になると同時に警察が逮捕状持参で尋ねてくるのか? 各地に潜伏する嫉妬団に囲まれて袋にされるのか? それとも、ベネディクト16世の念力によって、ひたすら微妙なベクトルの呪いをこの身に受けることになるのか?はたして真相は未だ闇の中ではございますが、今年のこの台詞はある種の覚悟を決めて口にしたいと思います。
メリークリスマス!! ここまで去年別のブログで使った文句の使いまわし。なんという手抜き。
ということで、今日はクリスマス映画の定番「三十四丁目の奇蹟」をご紹介いたします。 舞台はニューヨーク。クリスマスの飾りが華やかな商店街をうきうきと歩くのは、綿雲の如く盛り上がる白髭と恰幅のいい体格が特徴的な一人の老人(エドモンド・グウェン)。 一見からして人の良さそうな彼だが、おっと、なにやらショーウィンドウに飾られたトナカイが気になる様子。「Closed」と掛けられているのも構わずドアを開けさせ、店主に優しく親切に指摘する。 「トナカイの配置が間違っている。プリツェンとキューピッドの位置が逆だ」 どうやらこのジジイ、クリスマスオタクのようだ。 店を後にした彼はメイン通りに至り、そこでメイシーデパートのクリスマスパレードが出発に向けて最終準備をしているのに遭遇するが、ここでもまたサンタ役の動きが気になる様子。鞭捌きについて指導してやろうと近寄って見れば、なんとサンタは酒気を漂わせている。これには爺さんも激怒。すぐに責任者を呼びつけ「クリスマスを汚すな」と苦情をつける。 人事係長のドリス(モーリン・オハラ)もそんなサンタは使えないとすぐに解雇したが、パレードが始まるまでにもう時間の猶予はなかった。代わりのサンタを探す暇などなく、そこで爺さんに白羽の矢が立つ。 「子供たちを失望させたくない」とそれを承諾し爺さんは完璧にサンタに成りきる。その様はメイシーデパートの重役の目にもとまる。こうして正式にサンタ役としてメイシーに雇われた爺さんだったが、店側は彼に売れ残り商品のリストを渡して、子供たちにそのリストにある商品を勧めろと指導する。 「子供の幸せが第一に考えられるべきだ」と思った爺さんは命令を無視し、それだけでなく、子供の望む商品がメイシーになかった場合はライバル店の紹介までする始末。 ドリスをはじめメイシーの管理職連中は慌てたが、結局爺さんのそんな行為が功を成しメイシーは親切な店と反響を呼ぶことになる。 だがドリスは、娘のスーザンまでもが爺さんを本物のサンタだと信じ始めているのに焦慮を覚える。彼女は娘を現実的な人間に育てたいと、それまで一切のフィクションを否定してきたのだ。 ドリスは爺さんに頼み込む。「自分はサンタを演じているだけで、本物のサンタなどどこにもいないと、そう娘に説明して欲しい」と。 だが爺さんは自分は本物のサンタだと主張し、本名を聞いても、サンタクロースの俗名である「クリス・クリングル」を名乗るばかりだ。 そこでドリスは自称「クリス・クリングル」の履歴書を引っ張り出すが、彼女はそれを見て言葉を失う。 履歴書には「住所、ブルックリン メモリアルホール。出生地、北極。親類、ダッシャー キューピッド ドンデル」とあった。 フランク・キャプラ監督の
「素晴らしき哉、人生」 とこの
「三十四丁目の奇蹟」 は、クリスマス映画の定番として双璧をなしています。アメリカではクリスマスシーズンになるとほぼ毎年この二作品をテレビで放送するとか。そういや
サウスパークのシーズン2第16話「聖なる夜の脱獄」 のエピソードでも登場人物が「素晴らしき哉、人生」をテレビで見てたっけ。
話を「34丁目の奇蹟」に戻しますが、この映画の見所は、まず「ほんとにこれ北極から捕まえて来たんじゃないすか?」ってまでにはまってるエドモンド・グウェンのサンタっぷり。
この映画でアカデミー助演男優賞を受賞した彼は、その授賞式において「ここにいるのは本物のサンタクロースです」と自己紹介したそうですが、映画を見てもらえればなるほどと頷いてもらえるかと思います。
劇中の設定としては「自称クリス・クニングル老人がサンタクロースを演じている」という形ではありますが、見てるほうからすりゃグウェンが演じているのは「ニューヨークに紛れている本物のサンタクロース」に……
うわすげぇわかりにくいなこれ。 とりあえずあれだ、フィクションのはずのサンタクロースがごく自然に感じられるほどのサンタオブサンタってことでひとつ。
それからストーリーについても、サンタクロースを題材にしていながら、空飛ぶソリだのトナカイだの天使だの、そういうファンタスティックな要素がまったく絡んでこないところがいい。
中盤からの展開で爺さんは「自分を本物のサンタだと思い込んでいるやばい人物」として裁判に掛けられてしまうのですが、そのとき彼を救うのは超常的な力ではなく人々の信頼によります。
クリスマスの精神に溢れたハッピーエンドでありながら、ご都合主義に辟易している方にも自信を持って勧められる作品です。
ということで、明日はとうとうクリスマス。
家族や恋人と楽しい時間を過ごそうにも見るべき映画が決まらないという方、とりあえず名前だけで
「戦場のメリークリスマス」 とか選ぶくらいなら、TUTAYAでこれ借りてみてはいかがでしょうか!
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2007/12/24(月) 19:12:31 |
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唐突ではありますが、このブログのタイトル
「SomebodyToRag」 てどうでしょうか?自分じゃ結構気に入ってるんですが。
実はこれ、Queenてバンドの
「SomebodyToLove」 って曲名に、100年だかそこら前にJazzに先駆けて流行した
ラグタイム を掛けてみただけの自分のテキトーな造語でして、アメリカ、カナダ、イギリスと英語圏を見渡しても多分こんな熟語は存在しないはず。
とりあえずさっきエキサイト翻訳先生にお尋ねしたところ、
「ぼろ切れであるだれか」 となんとも意味深なご意見をくださいました。だれかって誰?
俺? てことで映画紹介に入る前に、このジャンルの第一人者であり、ラグタイムの父だの王だのと呼ばれる
スコット・ジョプリン について少しだけ触れさせて頂きたいと思います。
さて、
こんな場末の映画ブログを覗いてくださっているマイノリティな皆さんの中にあっても 、彼の名前をご存知の方はさらにマイノリティなのではないでしょうか。
俺の中ではジョプリンと言えば彼のことを差すって程にメジャーなジョプリンなのですが、Googleなんかで「ジョプリン」を検索すると
ジャニス・ジョプリン に一歩負けちゃっていたり、晩年は性病によって精神とか蝕まれちゃってたり、楽曲が大ヒットしたのも結局死んでから50年以上経ってからだったりと色々不憫な黒人ピアニストです。
でも彼の名前を知らずとも、皆さんの誰もがジョプリンの楽曲をそれと知らずに、日常生活のそこかしこで耳にしているはず。
例えばスズキ株式会社から発売されている軽自動車「アルトラパン」のコマーシャルでは彼の代表曲のひとつである
「Pine Apple Rag」 が、それからサントリーの缶チューハイダブル搾りのCMでは
「The Easy Winner」 がそれぞれ使われています。
それから
「The Entertainer」 は中学一年から高校卒業するまで毎年必ずと言っていいほど音楽の教科書にでしゃばっていた記憶があります。
(下にYoutubeへのリンクを張ってみたのでピンと来ない方は是非)
Pine Apple RagTheEasyWinner The Entertainer さて、そのスコット・ジョプリンの名を一気に轟かせたのが、今日ご紹介するこの「スティング」です。 舞台は1936年のアメリカ。 ニューヨークを牛耳るロネガンという大物ギャングの手下のモットーラという男が、違法賭博の売上金をシカゴへと配送する途中、路上で強盗の現場に鉢合わせる。ナイフで足を刺された黒人が、財布を盗まれたと喚いている。 モットーラと同じく、その場に偶然通りがかった別の男によって強盗は撃退され被害者の財布も取り戻せたが、警察を呼ぼうとしたのを黒人が拒否した。 黒人はギャングを主な顧客とする賭博場のオーナーで、財布の中身は顧客に渡すための金銭であり、約束の4時までに届けなければ彼が流用したと疑われ消されてしまうという。 被害者の黒人は財布を届けてくれるなら謝礼として100ドルを支払うと二人に持ちかけたが、通りすがりの男は厄介事に関わるのを嫌悪したため、モットーラがその役目を買って出た。 彼は馬鹿正直にそれを届けたりはせず、財布ごと自分のものにしてしまおうと考えたのだ。 受け取った金を乱雑にポケットに入れる彼を通りすがりの男が遮って、モットーラの所持金と一緒にズボンの中に隠した方が安全だと指摘した。 モットーラはタクシーに乗ると黒人に頼まれた配送先とは別方向へと車を出すようにドライバーに指示し、棚ぼたの大金だと高笑いをしたが、しかし「大金」が入った袋を開けてみると、中身は大量のチリ紙だけで、彼がシカゴへ運ぶはずだった金もなくなっていた。 画面が変わり、さっきの黒人と通りすがりの男が大喜びしているシーンへ。 実はこの二人は詐欺集団のメンバーで、モットーラは見事に騙されたのだ。 通りすがりの男・・・若手詐欺師のフッカー(ロバート・レッドフォード)はモットーラに大金の隠し方をレクチャーする際に素早く彼の財布を抜き取って、あらかじめ用意していたチリ紙で膨らんだ袋を手渡したのだ。勿論、被害者を演じていた彼の師匠であるルーサーも足など刺されていない。 想定外の幸運にフッカーは調子に乗り、儲けをさらに増やそうとギャンブルに出掛けるが、取り分の全額を御破算にしてしまう。 そんなフッカーを心配したルーサーは、自らの取り分と引き換えにして彼を詐欺グループから脱退させて、知己の友人であり、同時に伝説的な詐欺師と呼ばれるゴンドーフに弟子入りするよう命令した。 ルーサーを慕っていたフッカーは落ち込んだが、そんな彼の前にスナイダーという暴力的で有名な警官が現れる。スナイダーは稼いだ金を渡さなければ警察がロネガンに事実を伝る。そうすればフッカーは殺されると脅迫する。 その場は偽札を渡して凌いだフッカーだったが、スナイダー程度の耳に入っているならばロネガンという男も既に自分たちを探しているだろうと思い当たり青ざめる。 フッカーはルーサーのいるアジトへと急いだが、彼が戻ったとき既に室内は荒らされていて、開け放たれた窓から見下ろすと、そこには突き落とされたルーサーの死体が見えた。 フッカーは復讐を誓い、ルーサーに紹介されたゴンドーフを尋ねるべくシカゴへと旅立った。 やっとの思いで対面を果たしたヘンリー・ゴンドーフ(ポール・ニューマン)はすっかりと落ちぶれていて、ルーサーに聞かされていた伝説とは程遠かった為フッカーは失望したが、旧友の仇討ちと若いフッカーへの共感のために今一度立ち上がったゴンドーフには確かに大物の貫禄があった。 暴力でも権力でもなく『詐欺』によりルーサーの仇討ちを果たすために、ゴンドーフはかつての仲間を召集し作戦を練り始める。 あらすじ今回すげぇ長くなっちまいましたが、
これでもまだ序盤だけです。 巧妙なイカサマの手口と、相手を油断・激昂させるための滑稽な演技。テンポがよくてわかりやすいのにえらく濃厚な密度がある作品なのです。
要所ごとに挿入されるBGMはそのほとんどが前述したジョプリンの楽曲なので、作品の持つ雰囲気は軽妙なラグタイムで固定されているわけですが、それでも楽曲数が多いので「またこれかよ」みたいになることがほとんどなく自然に作品と融和しています。
テーマがテーマなので、勿論先を予想しながら見るのも面白いですし、一場面ごとを流されるように楽しみながら種明かしのカタルシスを楽しむのもまた一興。
余計な恋愛要素も皆無なので、そっち方面に食あたり気味の人にも安心してお勧めできます。
それでは、興味を持ってくださった方、是非TUTAYAのサービスデーに探してみてください。
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2007/12/16(日) 03:22:18 |
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